別居をすること自体が重要なのではない!問題は何のために行うかだ!

みなさんこんにちは~

今回は「何のために別居をするのか?」についてみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

妻が勝手に家を飛び出しただけだ!

とか・・・

夫が嫌で嫌で堪まらない!もう我慢の限界だわ!

みたいに別居って色んな感情がうごめき合うからこそ夫婦が離れ離れになると思うのです。

しかし・・・その別居って何のために行っているのでしょうか?

そこに意味があるのでしょうか?

ただただ自分の感情を優先し勢い余った行動に出てしまい、別居をするにあたってそこに何の意味も見いだせないのであれば・・・

別居すること自体、無意味なことだと思いませんか?

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何のために別居するのか?中身さえも伴わない別居に意味などない!

そもそも今の世の中、あまりにも別居する夫婦が多い現状にあります。

夫が・・・妻が・・

聞いていると確かに夫に対して、または妻に対して大きな不満を抱えている様子が伺えるものです。

しかし、言ってはなんですが「それって本当に別居する必要あるの?」、「自分が夫婦間の問題を直視することが出来ず逃げ出しただけではないの?」と思えてなりません。

ひょっとすれば2人で真剣に話し合うことで解決への道が開けていたのかもしれない。

ましてや夫婦のどちらかが完全に心が折れ、相手に対して申し訳ない表情を見せているにも関わらず半ば強引に別居を敢行しようとする。

これが本当に夫婦と言えるのでしょうか?

私的感情を優先する余り、パートナーのことを考える余裕のないまま家を飛び出し別居をする。

そんな中身さえも伴わない別居に何の意味があるのでしょうか?

別居とは言い換えれば「夫婦間の関係が崩壊した状態にある」のと同じ事なのです。

この意味を本当に理解し別居している夫婦達が今の世の中にどれくらいいると言えるでしょうか?

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別居することにどれほどの覚悟を持って挑んでいるのか?

別居に伴い私的感情を優先しパートナーを敵対視することで一切の聞く耳を持たなくなるようになってしまう。

こんなことがあっては絶対にいけないのです。

確かに夫が妻に対して暴言や力任せの行動にでるような場合においては即座に別居し離婚を視野に入れた行動を起こす必要があると思います。

しかし、そうではない場合。

夫婦間の性格の不一致」や「夫婦でいること自体が苦痛」などとそこに婚姻関係を継続し難い理由がないにも関わらず、さも相手の存在自体を否定し別居に走ろうとする。

そんな別居にどれほどの覚悟があるのでしょうか?

先程もお伝えしましたが離婚を覚悟した上での別居であればもう何も言うことなどありません。

でも、「自分が何のために別居したのか?」、「本当に離婚したいのかどうかもわからない」と言ったような答えも持たずして別居をすること自体、現状から逃げ出していることに過ぎないのです。

だからこそ、「離婚するのか?」それとも「復縁するのか?」さえはっきりしないままズルズルと時間だけが過ぎて行くのです。

別居は「夫婦の冷却期間」と言う意見もあるかもしれませんが、それだってその先に待つものは離婚するか復縁するかのどちらかしかありません。

ですからただ漠然と流れに身を委ねるのではなく覚悟を決めた上での別居に挑んでこそなのです。

離婚をすることでしか解決への道が開けない哀れな別居であってはならない!

最後にどうしてもお伝えさせて頂きたいことがあります。

それは夫が妻に、そして妻が夫に対してどんなに歩み寄ろうとも「離婚をすることでしか解決への道が開けない」そんな選択肢しか残されていない「哀れな別居」であってほしくないと言うことです。

心の奥深くにほんの少しでも相手の話を聞き入れてあげることが出来る、相手のことを許してあげられるやさしさがあるのであればそんな気持ちに蓋をせず自分に正直に動いてほしいと願ってやみません。

確かに過去の過ちや受けた屈辱は取り戻せないものです。

でも、だからと言って「相手の話すら聞こうとしない」、「顔も合わせようとしない」そんなあからさまに離婚をすることでしか解決への道が開けない、哀れな別居生活のまま幕を閉じるようなことは絶対にあってはならないのです。

万が一、離婚になろうとも夫婦お互いが合意してこその別居であり、夫婦人生にピリオドを打つべきではないでしょうか?

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